お扇子の話
お扇子は、使い方一つでお盆にもお銚子にも槍にも刀にもなり、山に海に風に雪にと、扇子一本で表現することが出来るもので、侍の刀と同様に舞踊家には、魂というべき大切なそして神聖なものであります。
”神聖な”というのは、日本の舞踊は天鈿女命(あまのうずめのみこと)が天の岩戸の前で踊られたのが始めといわれますが、総体に神様をお招きする儀式として生まれたものです。そして踊る人が手に持つ榊とか白弊とかは、それを通じて神様が天から降って来て、その踊り子に乗り移られるための媒介(なかだち)になるものでした。その「とりもの」が、後世になって踊りが儀式的なものに変わるとともに、扇になったのですから、お扇子も”神聖”という意味になるとわかっていただけると思います。
そして「お扇子」は、私たちに五つの教えを伝えてくれてます。
「礼」お扇子を持って構える事で心を落ち着かせ、そしてお扇子を前に置いてお辞儀をするということで、相手と一線を引き相手を敬う。
「智慧」お扇子は風を越こすことが出来、ものを指し示すことが出来る。すなわち人に、智慧を授ける。
「孝」お扇子を開く時、親骨が先立ちして子骨がそれに従い、最後に親骨で留めとなり、孝を説いている。
「徳」お扇子は固い要(かなめ)一つで全体をしっかりまとめて作り上げている。意思の堅固を論じ徳を得ることを教える。
「末広」お扇子の形をみてわかるように、下から上に広がっている。この形を「末広がり」と言われ縁起のいいものとされ、人の行き方の表しとしている。
お扇子は決して実物の小道具を簡易化した代用品なのでなく、お扇子こそ本格の持ちものであることを、しっかり胸に収めて大切に大事に扱ってほしい。
そして踊っている時に何らかの事で扇を受け損じることがあります。大変な失策と思いがちですが、それは失策ではあるが、落としたということ自体はそれほど大きな失策とは思いません。それよりもその後の処置の仕方の方が重要で、日頃の鍛錬の仕方、扇を取落としたからといって慌てて踊りのサマを壊すようでは駄目で「芸は人なり」というように、そのような時こそ、その人の芸の深浅、精神生活の程度如何がわかるのですから、よく注意して芸道に励んでほしい。
そして扇の裏表は、子骨を見ればわかる。表皮には艶があって質にも緻密になっている。
普通に踊る時には表を使い、仏事の時には裏向きを使うことは知っていてほしいが、なかなか使い分けて踊るということは、難しいことである。
花柳芳瞠著書「夙川夜話」より