長唄「京鹿子娘道成寺」(後半)
前回に引き続き、今回は道成寺の後半をお話しして参ります。
「恋の手習い……」からは、唄の聞かせどころだから、踊り手さんはトントンと派手に踏んだりせず、じっくりと唄を観客に聞かせて「ふっつり悋気…」から、振りを踊りように勤めることが大切であると、父(花柳芳瞠)は言っておりました。またこの中の「女子には何がある…」のところで、花子の気持ちの強さを出すために、初代中村富十郎は‟つがもねえ"の形で決まったと言われている。
「恨み恨みて……」のところは、手拭いを肩にかけ両手で持ち、鐘を見つめて左手をはなし泣く振りになっているが、これは一種のウロコ落としで、蛇性になることが大切で「露を含みし桜花…」は、手拭いを振りながら回る振りで、ここでは散って来る桜の花びらを払う様子と、自分の蛇心が所化に気付かれなかったかという二つの意味を心に入れて踊ることが大切だと聞きました。
次に「山尽くし」となっていく。「三國一の富士の山…」の三國は、日本の三國(駿河・甲斐・相州)ではなく、もっと広い意味、倭・唐・天竺の三國をいっている。山尽くしの挿入については、振りと関連があるため、ここでは書き綴ることが出来ず省略致します。
今回は「京鹿子娘道成寺」を取り上げましたが、「道成寺物」は他にも多数あります。我々踊り手は「道成寺」という作品の重みを充分に理解して、踊って行かなければならないと思います。
(文責・初代芳瞠宣州)