鐘に恨みは数々ござる・・・・
長唄「京鹿子娘道成寺」
この「京鹿子娘道成寺」は、歌舞伎や舞踊会でよく見られる、有名な作品であることは申すまでもありません。今回の「芸知学」では、清元「北州」に続いて、この「娘道成寺」を、私が修業中に父花柳芳瞠から学びましたことや、先輩逹から聞きました事、更に書物などで知り得たことを、私が行っております「おどり塾」での講義と同様に述べて参りたいと思います。
ご承知のようにこの作品は、宝暦三年(1753年)三月「男伊達初買曽我(おとこだてはつがいそが)」の第三番目に初代中村富十郎が江戸下りの初お目見得に、江戸中村座で初演したといわれております。作詞は藤本斗文(ふじもととぶん)作曲は杵屋弥三郎といわれています。
能の「道成寺」を歌舞伎風に舞踊化したもので、その構成は第一段の「道行」から、最後の「押戻し」まで、第十四段から成り立っております。各段の説明は長くなるのでここでは省きます。その筋は道成寺伝説の後日譚とも云うべきもので、安珍・清姫の伝説から約三百年ほど後に、道成寺に鐘の供養があると聞き、白拍子に化けた清姫が舞にことよせてかつて男を隠した恨みの鐘に入り、蛇体となって現れる、これが道成寺の粗筋です。
まず「音楽(楽)」という鳴物で幕が揚がると、紅白の段だらの幕の前で、所化逹のやり取りがあり、上手下手に所化が別れて入り、紅白の幕が揚がると中央に白拍子花子が立っている。
長唄の「花の外には松ばかり・・・・」の唄で白拍子は花道にむかって歩んで行く、この歩みは道成寺の六十二段のきざはしを登るがごとく歩く、この道成寺の正面の六十二段の石段は「とんとんお寺の道成寺、六十二段のきざはしを登りつめたら仁王門」と「てまり唄」にもあるように、登りやすいように工夫されている。正に清姫も安珍恋しさのあまり、蛇体となり、狂い乱れて登ったことであろう。
そして「鐘に恨みは数々ござる・・・・」となると、ここの振りは中啓を開き、ひらひらと中啓を返しながら、上からおろす振りとなる。この振りに関して父は私に次のように語っていました。
『三味線に合わせて中啓をひるがえす…降り注ぐ花びらを中啓で払う振りと考える人がいるが、その気持ちで踊っては歌詞と合わない…中啓をひるがえす振りは、山門の高札に書かれた文字に意味がある…足拍子の数も三味線にベタに踏むのではなく、意味を理解してその数で踏まないといけない…』と、振りの意味を申しておりました。
そしてこのくだりの最後の「真如の月を眺め明かさん・・・・」で、烏帽子を取り中啓の上にのせた決まりとなり、三味線のトーン、トーン、トン、トン、トンがある。この三味線の五つの音は、「我れも五障の雲晴れて・・・」と唄われている女性の五障を象徴しているものだから、この音を聞いてから後ろに入る。そして合の手のかかりとなるが、この合の手は本来は二回繰り返すと言われている。何故かということは、鐘に関係があるのたが、紙面の都合上ここでは省略。
次に手踊りになり、ここは前の白拍子とはうって変わって、初々しい娘の気持ちで明るく華やかさを失なわずに踊ることだが、特に「言うて袂のわけ二つ・・・・」は、娘心のいじらしさを語っている。娘の気持ちとして、思う人から気持ちを聞かれた時に、はっきりと返事をすることにためらいがあったので、返事を袂で表した習慣があり、それをこの歌詞に入っている。
次に「恋の分里・・・・」と唄い出し、ここは当時の舞踊作品に多く出て来る吉原を初めとして、敷島原と京の島原、伏見、大阪の新町、木辻といって奈良、室の早咲と唄って播磨の遊里、更に下の関路と山口県の長門の遊里が登場し「廓づくし」のような形となる。又ここは鞠をつく振りがあるところから、「鞠の段」とも言われている。父は私に『物の本によるとその真偽は定かでわないが、昔はこの「鞠の段」は長唄さん逹、特に唄い手さんは一本調子でここを唄ったそうだよ、これは聞きようによると、読経の様に聞こえたそうだよ…』と申しておりました。経を読む荘厳さの中に、あの鞠をつく華やかな踊りとのコントラストを考えると、何か違った意味での面白さが感じられる。
「鞠の段」が終わると、振り出しの笠を持って踊る「梅とさんさん・・・・」になるが、今日では最初の一ぱい目は花子が踊り「あやめ杜若・・・・」を所化が花傘を持って踊る形は、九代目市川団十郎によって行われたものと言われている。
ここでこの歌詞として注目するところは「西も東もみんな(南)見に来た(北)花の顔・・・・」で、西からも東からも又南から北からと、四方からこの道成寺の舞台を見に来たという、方角的な解釈の仕方と、もう一つは芝居小屋は両桟敷が東の桟敷、西の桟敷となっていたので、この東西の桟敷が常にいっぱいになるほど、四方から人が集まって来たという意味がある。
そして「恋の手習い・・・・」と続きます。
今回は前半のみ書き綴りましたが、前半だけでも文章に出来ない表現の意味、例えば中啓をひるがえす振りの意味や日本舞踊で鞠をつく時に必ず持ちいられる振りの意味、また袂の扱いで嫌か承知か…など「おどり塾」の皆さんには実技で説明していますが、紙面では充分に伝えることが出来ませんが「道成寺」をより深く楽しく見て頂くためにも、出来る限り綴って行きたいと思っております。
(文責 初代芳瞠宣州)
先代芳瞠師(四世花柳芳次郎)の書き綴られた書物や多数の振付ビデオ、また振付作品の振りの意味などが伝え遺されております。
我々はこれらに基づき、日本舞踊の魅力を「芸知学」の上で伝えて行きたいと思っております。