創流の流れと歴史
流儀の「芳瞠」は四世花柳芳次郎の晩年の称号である。
四世花柳芳次郎(後の花柳芳瞠)は、花柳壽輔の分家として、関西の検番に入り芸妓の指導に当たるため関東より度々関西を訪れ、そこで「上方舞」を知り、今まで江戸前で非常に華やかで歯切れのいい、いわば歌舞伎の所作とも言える踊りを習得していた自分の踊りの中に、「上方舞」の“静”の動きの美しさ、感情を抑え自然体の流れの美しさを取り入れ、自分独特の踊りを作り上げ、数々の
作品を残した。
昭和59年(1984年)一月、芳瞠師の芸風や振付作品を継承していくため、芳瞠師の子息である花柳雅一は「芳瞠流」を創流、芳瞠宣州と名乗り初代家元となる。
「芳瞠流」は花柳芳瞠(四世花柳芳次郎)から受け継がれた舞踊芸術の継承を基本として、振付の型や演出への精緻な考察、大道具・衣裳・小道具の選定など、先代芳瞠師より伝授した資料や口伝を
財産として伝え、「芳瞠の芸」を習得すると共に新しい時代に対応する作品をつくり、門弟の育成・指導に力を入れ、日本舞踊の必要性や魅力を認識してもらい、日本舞踊の発展に努めている。
花 柳 芳 瞠(1903~1971)
Hanayagi Houdou
花柳つるの養子となり花柳流分家・四世花柳芳次郎として、当時関西から西に勢力が弱かった花柳流を広めるため、関西に移住し多くの門弟の育成に力をそそぎ、「夙川のお師匠さん」として強固たる地盤を築いた。
芸名に「芳」がつく大多数は、四世花柳芳次郎の門下生と言ってよいほど多くの舞踊家を育て、日本舞踊界の発展に努める。
昭和35年、夙川の稽古場を子息である花柳雅一(後の芳瞠宣州)に任し、花柳芳次郎の名は長男の花柳寛(現在の二世花柳壽應)にわたし、自らは花柳芳瞠を名乗る。
芳瞠師は「静」と「動」を組み込み、自然体の動きの表現や美しさに独特のリズム感のよさを加え、数多くの振付作品を残す。
芳瞠の代表作品として「助六」「傀儡師」「流星」「屋島」「玉屋」「新曲浦島」「幻お七」他、すべての作品において現代にも通じる演出や表現法でつくられている。
日本古典芸能に多くの功績を残し「勲三等瑞宝賞」「大阪芸能文化顕彰」等、数々の賞を受賞。
「夙川夜話」を出版。
初代芳瞠流家元
芳 瞠 宣 州(1934年~2016年)
Houdou Sensyu
本名…花柳雅一
四世花柳芳次郎(後の花柳芳瞠)の次男として、東京都中央区新富町に生まれる。
慶応義塾大学卒業後、関西へ移り父(芳瞠)の芸風を習得するため、父のもとで古典舞踊の修業に専念。
古典舞踊の継承に努めると共に、友人である作家の永六輔氏や作曲家のいずみたく氏と共に、日本物ミュージカル運動を発足し、ミュージカル「別冊源氏物語」を発表、日本舞踊の楽しさや面白さを伝える。
昭和59年(1984年)一月、父芳瞠の芸風や作品を残すため花柳流を離れ「芳瞠流」を創流、
芳瞠宣州と名乗り芳瞠流初代家元となる。
創流後は、古典舞踊をわかりやすく伝えるため、花柳芳瞠(四世花柳芳次郎)より聞いた口伝や書き記した資料などを基に、日本舞踊の作品を研究・分析し曲の内容・歌詞の意味を細かに調べ教本を作成し、身体の動かし方や表現の仕方を流体力学をもとに、門弟の育成や日本舞踊の発展に努めた。
古典舞踊に加えてあらゆる分野の振付も手掛け、その数は百二十以上、資料書物も数百以上作り残している。
二代目家元
芳 瞠 香 榎
Houdou Kouka
令和元年十月、芳瞠流二代目家元を継承させて頂きました。
父・芳瞠宣州が「芳瞠流」創流時に“州”はたくさんの島をつくり大きな国
となる、“榎”はたくさんの花を咲かせ、たくさんの実をつけるということ
から「芳瞠香榎」という名を私につけてくれました。『名前を大きくするの
も精進しだい、自分の名前をしっかり大きくしていきなさい』という父の
言葉を胸に刻み、「芳瞠香榎」の名で二代目家元として、祖父や父の作品を
門弟と共に守り伝えて、更なる流儀の発展・日本舞踊の発展に努めて参る
所存でございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。